History of ZICO CUP vol.2

ジーコ氏が日伯友好カップを開催を決意したのは、「無限なる可能性の塊である少年達に光をあてる」という想いからでした。


ジーコ氏はサッカーと共に歩んだ自身の人生を振り返って、「サッカー人生を左右するのは育成年代の経験だ」と語っています。それも13歳から15歳までの中学生年代の時がとても重要であり、サッカーに情熱を持ち、多くの経験を積み始めるこの時期に学び感じたことが、優秀なサッカー選手への道に光を当てるのです。現在では、世界中のプロチームでユースチームが創られ少年育成に力を入れてはいますが、今から20年前では中学生をはじめ育成年代へ力を注ぐことができるチームや組織は決して多くなく、もちろんJリーグが発足して間もない日本では、中学生のサッカーは学校の部活動が主流の時代で、中学生が国際大会に出るということは想像もできない時代でした。

サッカーを心から愛し、サッカーから愛されたジーコ氏は、そのサッカーへの恩返しとして後進の育成、日本と母国ブラジルの友好を深め、そして、「無限なる可能性の塊である少年達に光をあてる」ため、1998年自身が運営するジーコサッカーセンターにて第1回日本ブラジル友好カップ(後の日伯友好カップ)を開催したのです。

第1回大会には、日本の鹿島アントラーズジュニアユースやブラジルのトップチームであるフラメンゴやヴァスコ・ダ・ガマのユースチームなど日本とブラジルのユース年代のトップチーム、8チームが参加しました。海外チームとの真剣勝負、日本とブラジルとのレベルの違い、そこから見える各々の課題、そして言葉の通じない相手であってもサッカーという一つのスポーツ通じて深まるお互いの友好など、選手たちは多くの貴重な経験したのでした。
過去の大会には、宇佐美貴史選手(第9回大会Jリーグ選抜)、柿谷曜一朗選手(第7回大会U-15日本代表)鈴木優磨選手(第14回大会鹿島アントラーズJY)マルセロ選手(ブラジル代表レアル・マドリード所属)などが出場しており、その他多くの選手がブラジルや日本をはじめとする世界中のプロサッカーリーグや、国の代表選手として活躍をしています。

この結果は、ジーコ氏が語る「サッカー人生を左右するのは育成年代の経験だ」の言葉通り、中学生年代で得た経験、日伯友好カップへの参加が大きな意味を持っている裏付けとなったのでした。
次回は、ジーコ氏が「サッカーを通じて成し得たい想い」についてご紹介します。
サッカー界の未来のために。