History of ZICO CUP vol.1


一般社団法人日伯少年サッカー育成協会(以下:協会)は、毎年ブラジルで開催される15歳以下の国際大会日伯友好カップ(通称ジーコカップ)を支援するために設立しました。
日伯友好カップは、今年2017年で20周年を迎える歴史ある大会です。
なぜ、このような大会が開催されることになったのか、主催者であるジーコ氏の想い、歴史、大会に参加した選手たちのその後など、これから数回にわたってご紹介し、当協会の設立に至る想いをお伝えしていきます。

日伯友好カップの歴史は、ジーコ氏と日本との繋がりからはじまります。
1991年に来日した「ジーコ」というサッカー選手を当時日本のどれだけの人が知っていたでしょう。
3度のワールドカップ出場、ブラジルの強豪クラブCRフラメンゴでの活躍、母国ブラジルのスーパースターであっても、まだまだワールドカップも海外強豪クラブも遠い存在だったサッカー後進国日本にとって、それほどの認知度はありませんでした。
そんな中ジーコ氏は来日後、外国人選手としてプレーするだけではなく日本のサッカー界向上のために奮闘しました。

スタジアムの必要性、サポーター組織への支援、外国人選手の来日手配などをチームに掛け合い、選手たちには練習方法だけではなく、サポーターへの対応や、自分のスパイクはいつも綺麗に磨くなど、クラブと選手の意識改革、プロ意識を根付かせることを自身の経験から探し伝えました。
選手としてのキャリアのためではなく、日本サッカー界を良くしたい、日本サッカーを強くし本当のプロ集団にしたいという想いから、その魂である【ジーコスピリット】を日本に根付かせていったのでした。

その言葉の全てを通訳し、日本にジーコスピリットを伝え続けていたのが、当協会の鈴木理事長なのです。

91年のジーコ氏来日から、日本サッカー界はまさに激動の時代を迎えます。Jリーグ開幕(92年)、ワールドカップ出場(98年フランス大会~14年ブラジル大会)ワールドカップ自国開催(02年日韓共催大会)、海外トップリーグでの日本人選手の活躍。そこにはジーコ氏がJリーガーとして、日本代表監督として日本サッカー界に残したジーコスピリットがあったのです。来日から25年以上経った今では、ジーコ氏の存在を知らない人は少ないと思います。

記憶に新しい、2016年12月に日本で開催されたクラブ世界一を決める大会、クラブワールドカップ決勝。対戦はJリーグ鹿島アントラーズとスペインのレアル・マドリード。そのスタンドにアントラーズサポーターによって掲げられた大きなフラッグには、ジーコの顔とジーコスピリットの文字がありました。
日本のサッカーチームがクラブ世界一を決める決勝のピッチに立つことは、まさに夢のまた夢の世界でした。それを現実にしたのは、25年前に地球の裏側から来たブラジルのスーパースターがもたらし、脈々と受け継がれてきた魂だったのです。
それほどジーコ氏の日本での功績は大きく、また繋がりも強いものでした。

そのジーコ氏が母国ブラジルと日本の交流をサポートし、両国の若手選手育成に力を注ぐために始めたのが、日伯友好カップなのです。
次回は、その日伯友好カップへの想いをご紹介したいと思います。

サッカー界の未来のために。