3.ブラジルへの夢

中学生時の密航失敗は正直かなりのショックであり、自分の中でのブラジルへの夢は完全に崩れてしまうのだろうと思っていた。傷心を引きずり、モチベーションのモの字もないままの高校進学………。

しかし人生、いや、運命と呼ぶべきものなのか?その後のシナリオはこのマヌケな「田舎中学生密航失敗事件」をあらかじめ見越していた様に次なるステップが用意されていたのである。

通常、高校進学に備え中学3年生は勉強に励むものである。しかし自分の場合は当時、頭が全てブラジルに侵されてしまっていたので通常の受験勉強なるものは全くしなかった。ただ英語は必死で頑張った、なぜならブラジルの母国語ポルトガル語は複雑すぎてまた時間もなく独学では無理なので英語でなんとか乗り切れるだろうと考えたからだ。あとは、ブラジル国の地理、歴史等、これからずっとお世話になる国なので社会事情も含めある程度は知っていないと失礼だろう思い、とにかく頭に叩っこんだ。他の科目などは目もくれなかった。そんな状態であったにも関わらず県立高校試験に見事合格!英語プラス社会だったか地理だったかは記憶にないが、とにかくブラジル特集の問題が出たのだ!?他の受験生はどうかわからないが、まさに目をつぶっていても自分には解けるものばかり。なんと説明したら良いのだろう。まるでこの現在という時間がすでに出来上がっている未来に合わせて構成されている様な!?あるいは、自分の人生の大まかなルートが前もって描かれている様に。とにかく他のオプションもないまま抜け殻状態で入学。

しかしながら、ブラジルへの夢が消え去った当時どうやって高校3年間を過ごしたら良いのだろう………。仕方ない、何もしないままでは何も始まらないと思い、先ずはモチベーション探しの取っ掛かりとして学校のサッカー部とは別に当時としては画期的なミニサッカー・サークルなるものを立ち上げた。人数も少なくて済むし、補欠を作らず全員で楽しみたかった。これには燃えた!毎日昼休み、放課後は夢中でボールを追った。真横のデカいグランドで練習の辛さに歯を食いしばりながら耐えている正式なサッカー部の連中を横目に、ド派手にギャーギャー騒ぎながら”楽しく遊ぶサッカー”を満喫した。当然そのサッカーを楽しむど素人集団の技術レベルは日に日にうなぎ登りに上がっていった。何しろ毎日の授業時間以上にサッカーで遊んでたのだ。

そんなある日、ブラジルからトンデモない選手が来日した。セルジオ越後氏である。今でこそ四六時中辛口のコメントを容赦なく吐きまくる白髪のじいさん解説者のセルジオ氏だが、60年代から70年代にかけてブラジルではとんでもない逸材だったのだ。日系初の天才プロ選手として、また東京オリンピック代表候補としてとにかく有名だった。”エラシコ”なる後に世界を席巻するお化けテクニックの発案者としても有名だ。あったり前、早速学校休んで観に行った。凄かった!!ただただ驚嘆!姿形は自分らと何も変わらないのにボールを受けた瞬間から別次元の存在となる。眠っていたブラジルへの夢が一瞬で呼び覚まされたのだ!!

神は何としても自分をブラジルへ行かせたかったのか?あの瞬間は今でも忘れない。