1.ブラジルとの出逢い

3月末にJリーグ絡みの仕事でブラジルに渡る為、リオにいるジーコと電話で打ち合わせを行った。ふと考えたのだが1991年の5月にジーコが来日した際に、成田で出迎えてからなんと26年が経ったのだ。人の脳など極めて曖昧なもので、ほんの数日前の出来事の様に感じる……。

そもそもジーコの母国ブラジルとの出会いは自分が中学一年の時。部活で毎日ボールを追いかけていたある日、大阪のヤンマーディーゼルに日本初の外人助っ人としてネルソン吉村という日系ブラジル人選手のプレーを目の当たりにした時だ。まるで地獄で仏を見た様な歓喜だった…。と言うのは当時、日本サッカーはドイツ流一辺倒で厳しいボディコンタクトの応酬で、身体の小さかった自分にはまるで格闘技のように思え、決して馴染めなかった。と言うより、毎日の部活が辛くて辛くてたまらなかった。今日辞めよう、明日辞めようとばかり考えていたが運命と言うか天命と言うか、それは不思議なもので言い出せずにいた。

見た目には日本人そのもの(ご両親ともブラジルに移住された生粋の日本人)のネルソンのプレーはまさに別次元のそれだった。とにかくボールをまるで身体の一部の如く自由自在に柔らかく扱う。当時のサッカーにおいてそんな光景など見た事もなかった中学生の私は一気にハマった。即座にブラジルサッカーを片っ端から漁り始めた。そこには辛さではなく”楽しさ”が充満していた。「これからは絶対ブラジルの時代だ!!!。少なくとも自分の世界では……」。身は日本の松戸、魂はブラジルに飛んでいた私が次に欲したのは身もブラジルへだ。

今の様に海外が身近な時代ではない。最初の実行は2年後の中学卒業式直後だった。パンツの替えとサッカーボール、ポルトガル語の辞書だけを持ち、母親へは「ブラジルで頑張って来ます」とだけ書き残し横浜港へ向かった。ここからブラジル行きの貨物船が出るとの情報があったから。因みに手持ちは1500円。交通費だけであっと言う間に消えた。「あった!あれだ!」眼前に停泊する巨大な船こそが自分を夢の国ブラジルに連れて行ってくれる神の乗り物、たとえ密航であっても。

つづく