鈴木國弘:経歴

日伯少年サッカー育成協会理事長:鈴木國弘 イメージ
鈴木國弘のブラジルスピリット

鈴木國弘(スズキ クニヒロ)

1955 12・25 千葉県松戸市出身
1978~80 在日ブラジル大使館勤務
1982~90 Turismo nippo-brasileilo Lmtda(在ブラジル・サンパウロ市)にて日本とブラジル間での人材と文化交流コーディネート及び通訳を担当
1991~2002 鹿島アントラーズに於いてジーコ専属通訳兼コーディネーターとして勤務
2002~06 FIFA ワールドカップドイツ大会日本代表チーム通訳として日本サッカー協会勤務
2007 世界柔道リオデジャネイロ大会現地コーディネーター及び通訳チームリーダー 
2007~ 仏門に帰依する傍ら仏道の実践を通し体得した独自のメンタル強化法を提唱、人の内面に存在する無限のパワーと自然法則を実生活に活かし心を強化するメソッドの講演・指導・執筆活動を多数行う。
また、幅広い人脈と経験を活かし「日本とブラジルの文化交流、真の国際人育成 」にも情熱を注ぐ。
2013年 急性骨髄性白血病により死線を彷徨いながらも奇跡的に生還
2016年 一般社団法人日伯少年サッカー育成協会 理事長就任

協会発足と近未来への抱負

1993年の我が国初のプロサッカー組織であるJリーグ発足を機に、世界サッカー史上類を見ない急激な速度で進化を遂げて来た日本サッカー界。国内に於いてもプロサッカー選手という職業が社会的にも認知されたことに伴い、若年層を中心とした競技人口も膨れ上がり、現在は野球のそれを超えるまでになっております。この現象は当然の如く国産のスター選手を多く輩出し、代表チームのレベルアップをなし、以前には望むべくもなかったFIFAワールドカップ本大会の連続出場、また同大会の日本開催までもが現実化しました。

ジーコの想い

さらなる高みへの到達が望まれる中、進化の立役者ジーコによると「無限なる可能性の塊である中学年代の少年達へ光をあてること」が不可欠であるとのこと。過去伝説的な名手を数多く輩出した王国ブラジルでは、小学生の年代までは自由にサッカーで”遊び”ます。しかしながら、それが中学年代への移行と共に本格的なサッカーを身につける段階となります。 ジーコ自身もストリートサッカーの時代は稀有の神童として、当時の世界的なプレーヤーが披露する超高度な技術も路地裏のコートで大人相手に茶飯事的にこなしておりました。実兄のエドゥ(元ブラジル代表選手ならびに監督)をして「後に世界最高プレーヤーとなる弟の技術は13歳でほぼ完成していた」と言わしめるほどでありましたが、後にプロを目指す上では名門フラメンゴ(ブラジルのプロチーム)のジュニアユースで厳しい大人のサッカーへの修正を余儀なくされました。当時の厳しい鍛錬が世界最高選手ジーコの土台となって支えていたのです。

日本でもブラジルでも中学生年代は精神的にも肉体的にも少年から大人への移行する最も多感な時期であります。この時期に経験する様々な出来事は将来に多大な影響を与えます。因みに、私自身中学年代にブラジルというポルトガル語を公用語とする国にサッカーを通して出会い、後にポルトガル語通訳コーディネート業が生業となりました。しかし、残念ながら前述の様に子供の一生を左右しかねない大切な時期であるにもかかわらず、あまりに光が当たらない事に業を煮やしたジーコが20年前に全て自費でブラジル最大の中学生国際大会”日伯友好カップ”の開催に踏み切り、現在2017年で20回を重ねます。


日本の少年サッカーの底上げを図りたい

日本の現状を見ますと、同年代にプロチームの下部組織に所属する子ども達は熟達への道が既に確立されておりますので、与えられた素晴らしい環境での奮闘努力で自ずと方向が定まってまいります。しかしながら、それ以外の中学生は学校の部活という制限された場のみでの精進となります。当然全ての少年がプロを目指すわけではありませんし、目指したとしてもプロへの門戸は著しく狭い為、実際ほんの一握りの少年しかチャンスを手に出来ないのが現実です。

そこで、我が日伯少年サッカー育成協会はプロを目指す子、一方大多数の高校、大学生活の中でサッカーを楽しみたい、また社会に出てからも趣味や選手以外でサッカーと関わりたいというケースも含め一様に同年代での貴重な経験の場、さらに技術面でもステップアップを目指せる特別プロジェクトをジーコ、プロ選手、プロチームのアドバイスの元に実現させる所存でございます。世界最大の人気スポーツであるサッカーを通じ、少年達の無尽蔵の可能性を今まで以上に引き出せればこれに優る喜びはありません。
皆様方のご理解、ご協力何卒宜しくお願い申し上げます。

一般社団法人 日伯少年サッカー育成協会
理事長 鈴木國弘