5.ブラジルサッカーの謎

当時の藤和不動産の試合の度にセルジオの出待ちと追っかけを繰り返しながらの高校生活。頭はブラジル一色。

今でも当時の記憶は遊びサッカーの事しかない。サッカーに興味のある同級生を集めてミニサッカー同好会的なモノを作り、必死に苦しみながら部活サッカーする連中の真横のスペースで同じサッカーでありながら全く別モノでキャッキャ言いながら自由にボールを追っかける日々だった。今でも自慢なのは当時はど素人だったミニサッカー仲間達が毎日の様にサッカー遊びをしていたら3年間で基本ゼロながら、ゲームに関してはある意味玄人はだしとなっていたこと。これがブラジリアン流だ!!!!

しかしながら、依然として謎だったのは当時日本人では「絶対無理!」と専門家たちが口を揃えて言っていた日本人でありながら、完全にブラジルのリズムでブラジリアン・スキルを発揮するという事を骨格は日本人のセルジオは出来たのか?

最終的にこの難問はセルジオ本人だけをどれだけ注目していてもわからなかった。むしろ他の日系人に目を向けた時に、また彼等を取り巻く当時のブラジルの少年サッカー事情がわかってくるに従って次第に謎が解明されていった。

先ずブラジルでは子どもたちがサッカーをするのは遊びなのだ。日本では学校教育の一環として全くの素人が部活に入り(昭和30年当時は)技術をイチから教わる。フォームまでキッチリと教わる。いや型にはめられると言う方が正しいかもしれない。ところがブラジルでは遊びから入るから当然先生はいない。苦しい練習もない。ボールの蹴り方、フォームは他の上手い選手のを見て盗む。それから自分流のスタイルを作り上げる。誰にも強制されずに。毎日がストリートでのゲーム遊びだから補欠もない。全員がプレーするのだ。だから個が非常に個性的。時には小学生が自分独自のフェイントを持っていたりする。遊びだから常にフリーだ。下手なら仲間から容赦ない文句が飛んで来るだけ。下手な奴にはボールは絶対に回ってこないという厳しさが存在するだけだ。遊びでもゲームとなったら彼等は絶対に勝ちたいから。

そんな環境の中で最も重要なのは個のセンス。前述した様に子どもたちは誰も練習なんてしない。とにかく2人いればゴールを作ってゲーム。練習という環境があればハードに鍛える事でセンスのなさもカバー出来るかもしれないが練習がないのだから全てはセンスがあるかないかの問題。結論としてセルジオは幼少の頃からセンスの塊だった訳だ。人種など関係なくただサッカーに対するセンスが卓越していたから多人種国家の中から日系として初めてオリンピック・ブラジル代表候補にまで登りつめた。

理屈はわかった!あとは自由奔放のミニサッカーで鍛えた自分がどれだけ本場のヤツらに通用するのかを試すだけだ。但し、今回は密航ではなく合法的に。